笛吹きもぐらのあなぐら歳時記

慢性疲労症候群の俳句日記

季語:冬の港

冬の港 光の航路 船ゆけよ

 

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 夕暮れ時に神戸大橋を訪れた。雲の少ない冬空から、波紋のゆれる海面に光がさしている。その海面に落ちた日の影が、どこか遠い場所に通じる道のように見える。
 その道を、船がななめに横切っていった。船は、己の航路に従って、港のむこうへ消えていく。光の道のまぶしさに目を細める僕には、港の風景は影絵のように黒い。そんな方へ行かなくても、もっと明るい場所があるのに、と思う。しかし、船には船の都合があるし、ひょっとしたら船の方からは、日の影は僕が見るのとは違うように見えているのかも知れない。

季語:凍空

何もない凍空に月


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 神戸の冬といえば、六甲颪。この風が吹くと、何もかも吹き払われて、空は素っ裸になる。透明な天球を見上げるのは気持ちがいい。暖房の温気で濁った意識が、冴えかえっていくよう。
 凍えている月を桜の枯れ枝がつかもうとしている。しかし、高すぎて届かない。

季語:凍てる

ねこやなぎ凍てる


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 近所の公園に猫柳の木がある。
 温暖化の影響なのか、寒のうちだというのにもう穂がついている。近頃の冬は僕がこどもの頃に比べるとあたたかいが、それでも寒波のきた日にはダウンコートを着ていても凍えるほど冷え込む。猫柳は、六甲颪に凍えていた。
 今年の寒波は強い。ニュースによると、日本海側はドカ雪で困っているのだとか。もう十分冷えたのだから、少し前倒しに春がきたっていいだろう。春よ、春よ、さっさと来い。

季語:寒の雨

寒の雨わたしにも降るが

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 去年の春から全身の怠さがぬけず、医者には「慢性疲労症候群」と言われた。漢方薬を飲むようになってかなり調子はよくなったが、それでも体調には波があって、僕の体は楽な時もあれば苦しい時もある。
 昨年の年末あたりは割合と元気に過ごした。しかし、年明け三が日が過ぎた頃に、またずどんと体が重くなった。もちろん薬は飲んでいる。体力を取り戻すために出歩くよう心がけて入るが、無理はしていない。しかし、初詣の人混みに出たのはいけなかった。普段より疲れたのは確かである。そのつけが後からきたようだ。

 不調の日が続く期間の中にも小さな波があって、朝から雨が降った日には小康をえた。傘をさして散歩に出る。降らない日には乾いて刺々しい街の冬の風が、雨が降ると、いくらかやわらかな肌触りになる。冬の雨はいい。鬱な気分が白い息となって大気に放出され、灰色の雨にとけて消えた。

季語:寒菊

寒菊や病にたえてアルペジオ

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 先の春に体調をくずした。全身が怠く、体重は10kgもおちて、生活するだけで精一杯という状況に陥った。
 その不調が、なかなか改善しない。医者にかかってあれこれ調べてもらったのだけど、どれだけ調べてもこれだと言い切れる原因が分からず、なかなか事態はいい方向に動かなかった。
 とにかく体が重く、疲れやすい。その疲れというのが尋常な疲れではなく、無理をして仕事に通っていたら、ついに職場で倒れてしまったほど。一度休職し、二ヶ月ほど休んでから復職したのだけど、なにせ原因が分からないのでドクターも治療のしようがなく、体の調子はそのままなので、一ヶ月後にまた倒れてしまった。

 こんな具合だから、趣味で続けていた音楽をいったんお休みした。とても音楽どころではない。練習もできない。以前であれば、休みの日は楽器をもってあちこちにでかけていたのだが。
 症状に苦しみつつ、療養を続けると同時に、あちこちのお医者様を訪ね歩いた。秋頃に漢方医のドクターに出会い、そちらで処方していただいた薬が効果を発揮するとようやくわかった。調子はあがったりさがったりをくりかえしつつも冬至のころにはなんとか、落ちた体重の半分くらいをとりかえし、休んでいた仕事も週に三度くらい、半日なら出られるようになった。

 長い間自宅にこもり伏せっていたので、体力は非常に失われている。無理をしないことも大事だが、動けるならばなるだけ動いて、体力を取り戻そうと考えた。僕はせっかちな質である。寝て待つということができない。近所を散歩するところから始め、調子の良い時には、しばらくやめていた楽器の練習を始めた。

 車で街のはずれまで出かけていって、人気のないところで練習する。ロングトーン、スケール、アルペジオ・・・。すぐに息があがって苦しい。しかし、久しぶりに楽器を鳴らすのは気持ちいい。体のあげる悲鳴を、楽器の音でかき消す。
 フェンスの向こうは、一面の枯れ芒。曇り空から吹き下ろす寒風にかさかさとゆれる枯れ野原をにらみながら、僕はトレーニングを続ける。ふと、足もとに小さな花が咲いていることに気づいた。指先ほどの大きさの太陽が、凍えて揺れている。負けるものかと、風に耐えて縮こまっている。
 枯れ野原の際にひと株の、寒菊であった。

季語:賀状

賀状出しにポストへ走る


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 自分から年賀状を出すことをやめて、もう何年にもなる。
 それまでは毎年、年の瀬になると出来合いの賀状を買って出していたけど、年賀状を送る相手とはほとんどSNSでつながっていることに気づいて、紙の無駄遣いをやめた。ただ、こちらで出すのをやめたとはいっても、あちらから送ってくることはある。送ってこられたら、返事をしないわけにもいかない。なので、紙の年賀状を送ってきた相手にだけは、紙の年賀状を送り返すことにしている。
 最初のうちはそれなりの数の年賀状が僕のポストに入ったものだが、段々に減ってきて、今では数枚になった。それでも、しぶとく紙の年賀状を送ってくる古い友だちが何人かいる。仕方がないので、僕も彼らにだけはいまだに、紙の年賀状を送り返す。なかなか、やめられない。

 しかし、紙の年賀状にも、紙の年賀状なりのよさがある。
 彼らの送ってくる年賀状は、まとめて印刷してあちこちに送っているお定まりのものだけど、その余白に手書きで、僕だけにあてた短いメッセージを添えてくれている。その言葉と文字が、あたたかい。やっぱり手書きの文字はちょっと特別だ。友の筆致を指先でなぞりながら目を細めるとまぶたの裏に、ボールペンを握りしめている友の顔がうかぶ。

 僕宛に届いた年賀状と同じ枚数だけ、僕も年賀状を用意し、手書きで宛名をしたためる。そして、送られてきた年賀状と同じように、手書きでメッセージを添える。
 年賀状であるから、寒中見舞いの時期になる前に投函せねばならない。書き終えるとすぐに、賀状を握りしめてポストへと走った。